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もきけなくなり、どうすることもできません。私は娘を抱えて家に帰り、ただ泣きくずれるばかりでした。それからというものは、途方に暮れて毎日のように神に祈るばかりでした。
三、四年経ったころ、私の切実な祈りが通じたのか、同じ田舎の先輩で沖縄ろう学校で教鞭を取っているM先生が訪ねてこられ、娘の入学を奨めてくれました。私は、M先生は神からの使者だと涙を流しました。
でも、娘の入学は家族の移転と同じことで、その上、生活がかかっているので、大変な難問題でした。私は自らを勇気づけ、沖縄本島へ行く決心をしました。それからは徐々に本島の情報を得ながら、特に父、母や家族の理解も得るように努めて、転居準備を着々と進めました。
そして不安を背負いながら私ども夫婦は、三人の子供と一緒に沖縄本島にやって来ました。でも、大黒柱の夫が何一つ愚痴をこぼさず、懸命に頑張ってくれたので、生活を切り回すことができました。
お陰さまで、娘は四十六年九月、沖縄ろう学校に入ることができ、多くの先生の指導によって、学力と言語の面でかなりよくなりました。いろいろな心配と苦労の重なる移転、そして入学でしたが、その甲斐があったことを喜びました、
娘も意欲的に勉学に励み、高等部までの課程を無事終え、五十八年三月、卒業しました。いまでは一人立ちができる立派な社会人として、京都の半導体加工の会社に働いております。
振り返って見ると、本当に苦労と不安の長い道のりでしたが、社会人として立派に働いているので、悪夢から覚めたような気もします。

 

 

 

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